485系(東北本線:蓮田-東大宮/1980年5月)

“ヒガハス”を行く上り特急「あいづ」です。小学生の頃にあこがれた列車は151系特急「こだま」。そして、当時よく乗った列車は161系特急「とき」。というわけで、私は正真正銘の「ボンネット特急世代」です。美しい流線形のスタイルはスピード感にあふれ、高速で走る特急列車の風格を感じさせました。そんな思いがあるので、こうして撮影行でボンネット形を先頭にした列車に出会うと、心が躍ったものです。この頃になると、東北本線の特急列車で上野方にボンネット車両が入るのは、この「あいづ」1本だけ。あとは200番台、300番台、1000番台の「ゲンコツ形」でした。ちなみに、仙台運転所の485系では青森方にボンネット車両が入る編成がありましたが、ほぼ南北に走る東北本線では、ピーカンの時に下り列車が常に逆光。その凛凛しい姿をきれいに撮影することは難しかったです。ところで、この写真の後ろから3両目あたりに撮り鉄さんが見えます。今ほど知られていませんでしたが、この頃から、ここは知る人ぞ知る撮影スポットでした。
にほんブログ村
165系(東北本線:白岡/1979年5月)

新前橋区の165系による上り普通列車です。架線ポールの陰に隠れて見えませんが、後ろから2両目にサロが連結されており、堂々の13両編成となっています。ちなみに上野からの折り返しは、急行「日光」「なすの」。時刻表によると「なすの」は土曜・休日のみの運転となっており、この日は「こどもの日」だったことから前寄りに6両が増結されて、この長大編成になったようです。通常、この574Mはグリーン車付きの7両編成でした。70年代も後半になると、首都圏で急行形が普通列車に使用される例は激減しており、この写真はその点においても珍しい1枚です。
にほんブログ村
103系(山手線:新宿-代々木/1980年4月)

新宿に向かう山手線の外回り電車です。私にとって、山手線と言えばこの103系。小学生の頃に初めて見たウグイス色の車体が、とても都会的に映ったのを覚えています。当時は中央線にオレンジバーミリオンの101系、山手線にはカナリア色の101系、京浜東北線はまだチョコレート色の73系でした。山手線に103系が投入されたのは1964年で、それまでの101系は順次、中央・総武緩行線に転属していきました。冷房試験車が走り始めたのは高校生の1970年。そして、ATC搭載、高運転台車が入ったのは1974年春。大学の通学で毎日のように乗りました。写真は社会人になって2年後の1980年に撮ったもの。小学生から社会人に至るまでの20年以上にわたり、世話になったのがこの103系です。写真の電車は4両目のT車が非冷房、行き違いの編成も非冷房です。都心の通勤区間を走る割には、山手線の冷房化は遅れていたような気がします。
にほんブログ村
113系(横須賀線:東逗子/1980年2月)

113系1000'番台の横須賀線下り電車です。1973年春から大船電車区に集中的に投入されましたが、それから7年が経ち、タイフォンが下に移動したこの前面スタイルは、すっかり横須賀線の「顔」になっていました。最初にこの1000'番台を見た時にオヤッ!と思ったのが、前面窓にデフロスターがなかったこと。熱線入りガラスの採用により、設置されなくなったためで、新鮮な驚きでした。153系以来のパノラミックウインドウ顔の電車のアクセントになっていただけに、一抹の物足りなさも…。行き先窓には「横須賀線」と表示され、また列車番号の「09S」表示も懐かしいです。助手席の窓部分に付いた編成札の頭文字は横須賀線の頭文字「Y」で、当時、大船電車区に同居していた東海道線用113系の「F」(電略フナのF)と区別されていました。
にほんブログ村
165系(中央本線:国分寺/1977年4月)

春の日差しをいっぱいに浴びて走る急行「アルプス」松本行きです。165系は関東地方の人にとっては馴染みの深い車両で、この中央本線の他にも高崎線や東北本線、さらに数年後には東海道本線や房総各線でも見ることができました。まさに直流急行形の標準形式だったわけですが、最初は勾配区間の多い上越線の急行用として開発されたため、主電動機のパワーアップや抑速ブレーキ装備、さらには耐寒耐雪構造といった特徴を持っています。165系の温暖地用として163系も計画されましたが、急行列車が減少していく中で、先行製作されたサロのみで中断した経緯があります。勾配区間が連続する中央本線は165系の本領を発揮する本命の線区。分割併合ができる特徴を生かして、富士急行線や身延線、飯田線にも乗り入れていました。
にほんブログ村





